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宮島 大元神社 百手祭に行ってきました。

 2016/06/01 宮島・厳島神社
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2016年1月20日に、大元神社で行われた百手祭に行ってきました。

前々日の18日から全国的に大寒波が日本に来ており、都心では18日が月曜日ということで交通機関に大きな乱れがあったようです。

広島市内中心部も18日と19日は今季初の雪が降りました。

20日の朝はうそのように快晴となりましたが、昨夜は雪が降ったようで薄っすらと雪化粧をしていました。

私の住まいは、宮島の対岸から少し広島寄りの阿品という所なのですが、自宅から広島電鉄の阿品駅まで歩いて5分、フェリーが出る宮島口まで1駅なので、約5分です。

 

宮島口から宮島桟橋までのフェリーの乗船時間は約10分ですので、待ち時間なども含めても30分くらいで宮島に着きます。

というわけで大変近いのですが、自宅の2階の窓からも厳島神社の朱塗りの大鳥居が見えます。

百手祭が始まるのは、午前11時からですが、自宅を出たのが9時20分頃で宮島桟橋に着いたのが10時少し前でした。

平日の早い時間に宮島に来るのは久しぶりで、しかも昨夜に降った雪がまだ残っており、朱塗りの厳島神社の屋根に薄っすらと積もった白い雪とのコントラストがとても綺麗でした。

 

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201612011

山の中腹の多宝塔の屋根は、片面だけが雪が積もって白くなっています。

途中で少し写真を撮りながら大元神社に向かい、着いたのは10時20分頃でした。

開始までにはまだ少々時間がありますので、来られている方は少なく、大元神社は厳島神社を中心とした観光スポットの西の端に位置していますので、一般の観光客の姿もありませんでした。

来られている方は、地元の方や私のような写真撮影を目的で来られておられる方が多いように思いました。

報道関係の方も数人来られていました。

 

「御神矢」と呼ばれるものが売られており、1本が500円で、購入と一緒に番号札をもらい、祭事の最後に抽選があり、当たると今回の祭事で使用した矢がいただけるとのこと、また「餝飯(ほうはん)」と呼ばれるお食事がいただけるとのことです。

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私も「御神矢」を1本購入させていただきましたが、残念ながら抽選には外れてしまいました。

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御神矢

 

「御神矢」をいただいた所で、今回の大元神社の百手祭についての由来等について詳しく解説されたものをいただきました。

下記の写真のものが、その解説書になりますが、これに基づいてご説明します。

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百手祭についての解説書

 

解説書より

大元神社は、厳島神社御鎮座(おちんざ)以前に建てられた古い神社で、屋根の葺き方は柿葺六枚重三段葺(こけらぶきろくまいがさねさんだんぶき)といい、建造物としては古い形式のものです。
この百手祭は、毎年1月20日午前11時から大元神社で行われ、例祭は神職10名以上が奉仕する大祭で古式そのままに執り行われます。

と書かれています。

 

「杮葺き(こけらぶき)」について、コトバンクに以下の解説がありました。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
杮葺き
こけらぶき
ヒノキ、マキなど比較的水に強い木材を長さ24センチメートル前後、幅6~9センチメートル、厚さ数ミリメートルの短冊形の薄板に挽(ひ)き割り、屋根木舞(こまい)の上に竹釘(くぎ)を用いて葺き重ねていく屋根葺き方法。この薄板を杮板(こけらいた)または、へぎ板(いた)、木羽板(こばいた)などとよび、一つの断面に重ねた杮板の枚数の多いものほど高級工事とされる。広義の板葺きに属するが、長大な板を平葺きにする普通の板葺きとは異なる。杮葺きは高級邸宅の屋根に用いられ、桂(かつら)離宮殿舎はその典型である。しかし防火上の見地から現在これを一般建築に用いることはできない。なお、杮葺きに似たものに栩(とち)葺きがあり、これは厚さ9ミリメートル以上の板を用いる。また江戸時代には杮葺きと栩葺きの中間の厚さの板を用いた木賊(とくさ)葺きとよぶものもあった。
葺土を用いる瓦葺きにおいて、裏板の上に葺き重ねる同種の薄板を杮板とよぶこともある。ただしこの場合の杮板は、屋根葺きに使うものより厚さがさらに薄く、2ミリメートル程度のものである。[山田幸一]

出典:杮葺き(こけらぶき)とは-コトバンク

なお、上記の文字の中の「杮=こけら」は、「柿=かき」とは別文字で、「こけらおとし」の「こけら」で、木片を意味しているとのことです。

このことにつきましては、下記サイトを参考とさせていただきました。

参考サイト:こけら葺-Wikipedia
参考サイト:「杮葺き(こけらぶき)」は「柿(かき)の木葺き」ではありません

私は最初は「柿=かき」と「杮=こけら」を同一文字と思いましたが、勉強になりました。

 

下記の写真が本殿の屋根の全体です。

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「柿葺六枚重三段葺」の部分を拡大したのが下記の写真になります。

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確かに薄い板が重ねられています。

場所によっても違うようですが、15枚~18枚くらい重ねられています。

「六枚重三段葺」というのが、大元神社に唯一残っているもののようですが、見ただけではどの様な構造になっているのか分かりませんが、いずれにしても、貴重な財産ですのでこのまま残して後世に永く伝えていければ良いと思います。

 

解説書より

祭典の式次第は、午前11時 神職着席 修祓(しゅうばつ)・献饌(けんせん)・祝詞奏上(のりとそうじょう)・鬼射(きしゃ)・玉串奉典(たまぐしほうてん)・撤饌(てっせん)・参列者が御幣(ごへい)を戴き終わります。

この祭典がすべて終わると、拝殿で奉仕した神職・参列者により直会(なおらい)が行われます。

とあります。

午前11時近くになりますと神職の方が出てこられました。

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手と口を清められておられましたが、これにも決まりと言いますか作法があるようで、濡れた手は右の方が竹の先に留めてある紙を差し出して、その紙で拭かれていました。

 

11時になると祭典が始まり、参列者の方は拝殿の中に入ることが出来ますが、私は外で待つことにしました。

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内容は分かりませんが、式次第によると修祓・献饌・祝詞奏上 が執り行われているものと思います。

 

解説書より

百手祭の由来は、昔正月7日、厳島神社の境内「輪蔵(経を納めていた蔵)=千畳閣の下にあったが、今は無い」で御弓始(おゆみはじめ)という儀式があり、的に 甲・乙・ム(こう・おつ・なし)の3字を謎字にして、「年始めから勝負を争わない」という年中行事が行われていた。

また、大元神社では毎年1月20日、本殿前で百手(1手は2本の矢を射る事)、つまり200本の矢を射るという大変厳しい儀式が行われておりました。

明治初年の神仏分離政策等、また時代の流れによってこの二つの年中行催事の儀式や習慣を一体化したのが現在の「百手祭」です。

とあります。

 

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さていよいよ百手祭のクライマックスの鬼射がはじまりました。

下記が鬼射の様子です。

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矢を射るのは的に向かってだけではなく、①天に向かって②左に向かって③的に向かって④地に向かって⑤右にむかって の5つの方向があるようで、順番は分からなかったのですが、それぞれに意味があるようです。

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天に向かって        左に向かって         地に向かって

 

 

下記の写真が実際に使われた的です。

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的に向かって射たれたのは、数えてはいなかったのですが4本くらいだと思いますが、1本が右端、それと分かりにくいですが白い部分の左上と右下に当たった跡があり、その2本は貫通していきました。

 

的は、14、5m程先に置かれており、けっこう私たちの近くで矢を射ていましたので、矢を放った瞬間、飛ぶ音、的に当たった音がハッキリ分かり、迫力がありました。

下の写真が上記の的の裏に書かれている甲・乙・ム(こう・おつ・なし)の3字を謎字にしたものです。

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矢を射たれた神職の方は、凛々しい表情をされておられ、年の初めに大変新鮮な気持ちにさせられました。

 

鬼射が終わると拝殿にて玉串奉典(たまぐしほうてん)・撤饌(てっせん)・参列者が御幣(ごへい)を戴き終わります。

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その後、これは何と呼ばれているものなのかは分かりませんが、お神酒でしょうか、参列者全員に振舞われました。

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この後、実際に鬼射で使われた矢と餝飯(ほうはん)が頂ける方の抽選が行われました。

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解説書より

この百手祭の神饌(しんせん)は、生ものではなく、煮炊きした「熟饌(じゅくせん)」が神様に供えられる珍しい神事です。

この神饌の準備や儀式後に食事をする直会(なおらい)のお世話をするのが、町内滝町(たきまち)の方達です。

食事の材料や料理方法は、昔から定められていて「餝飯(ほうはん)」といい、戦国時代の兵糧食(ひょうりょうしょく)だともいわれています。

煮しめ・なます・沢庵(たくあん)・大豆・青海苔・ご飯・澄し汁などの簡素な料理ですが、栄養的にもバランスがとれた美味しい料理です。

とあります。

 

この祭典がすべて終わると、拝殿で奉仕した神職・参列者により直会(なおらい)が行われますが、下記の写真が、祭典の後の直会で出された餝飯(ほうはん)です。

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全ての配置や煮しめの内容や盛り付け方も決められているようです。

この餝飯(ほうはん)は、最近までは一般の参拝者でも予約をすれば戴くことができたそうですが、料理の数量などに制限があり、前述したように抽選に当たった数名の方のみとなっています。

 

直会の様子を外から写しました。

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最後になりましたが、大元神社について少し書きます。

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大元神社:重要文化財

御祭神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、保食神(うけもちのかみ)となっています。

相殿神は、佐伯鞍職(さえきのくらもと)で、厳島神社を創建したといわれています。

御鎮座の年月は不詳で、現在の本殿は大永3年(1523年)に再建されたものとなっています。

 

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入り口には木製の鳥居があります。

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前述していますが、本殿の屋根の葺き方は「大元葺(おおもとぶき)」と呼ばれ、柿葺六枚重三段葺(こけらぶきろくまいがさねさんだんぶき)となっており、大変珍しい葺き方となっています。

 

大元神社は、島にある末社を船に乗って参拝しながら島を巡る神事の御島巡りの最終地となっており、拝殿には参拝者が奉納した額が飾られています。

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大元神社から少し山の方に行ったところには大元公園があり、弥山(みせん)登山道・大元コースの登山口があります。

また大元公園一帯は、もみの木が群生しており、大変珍しい場所でもあります。

大元神社から少し海のほうに下ったところは大元浦とよばれ、毛利元就と陶晴賢との厳島合戦の跡となっています。

大元公園の入り口近くにも、合戦の激しさを伝える血仏池があります。

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百手祭の祭典が終わる頃はちょうど12時頃となりますので、餝飯は頂けなかったので自前で食事をして帰ることにしましたが、大元神社の入り口に「国民宿舎みやじま杜の宿」があり、1階にはお食事処も有り、一般の観光客も少なく静かに落ち着いて食事をするにはオススメです。

日帰り入浴も出来ますので、弥山(みせん)登山の後に汗を流すのにも良い処です。

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