4月15日の桃花祭に続き、宮島の厳島神社では3日間に渡り桃花祭御神能(とうかさいごしんのう)が行われました。
この御神能は、4月16日、17日、18日の3日間を通して午前9時から夕方の4時頃まで、能と狂言が休むことなく演じられます。
この演能の形式は江戸時代から変わることなくそのまま継承されており、御神能は桃花祭の法楽として行われているものです。
御神能は、厳島神社の能舞台で演じられますが、一般の観光客の方も通常の厳島神社の拝観料を支払えば自由に鑑賞出来、3日間は廻廊と能舞台の間に仮設の桟敷が設けられます。
ゆっくりと鑑賞されたい方は、この桟敷で全ての演目を見ることが出来ます。
また桟敷の隅では、お弁当と飲み物も販売されており、食事を取りながらの鑑賞も出来るようです。
この3日間の桃花祭御神能のために、県内をはじめ東京、京都より多くの能楽師、狂言師の方々が来られます。
厳島神社に伝わる衣装と面を付けて演じられますが、衣装等も素晴らしいものが多く、重要文化財指定の装束もあるとのことです。
流派は、能が喜多流と観世流、狂言が大蔵流となっています。

厳島神社での演能は、1568年(永禄11年)に毛利元就が京都から招いた観世太夫が最初とされています。
その時は現在のような常設の能舞台は無く、海上に仮設の舞台を作って演じたと考えられています。
その後常設の能舞台が福島正則によって建立されましたが、現在の能舞台は、当時の広島藩主浅野綱長によって1680年(延宝8年)に再建されたものとなっています。
近年になって幾度かの台風被害に合っており、特に1991年の台風19号の飛来の際には能舞台が全壊してしまいましたが、多くの方々の努力により当時の姿に復元されています。




国の国宝重要文化財として指定されている能舞台は、現在日本には6棟あるとのことですが、宮島 厳島神社の能舞台はその内の1棟になります。
中でも厳島神社の能舞台は、海上に存在する極めて珍しい能舞台となります。
なお、厳島神社というと朱塗りの建物のイメージがありますが、能舞台、及び関連の建物は朱塗りではなく木の素地のままとなっています。
これは、平清盛によって朱塗りの厳島神社が造営されたのは、平安時代の1168年ですが、能舞台が広島藩主浅野綱長によって再建されたのは、それから500年以上も後になります。
1680年の江戸時代になり、時代の違いによるものです。


能舞台は、3つの建物からなっており、正面の能が演じられる「能舞台」、奥にあるのが「能楽屋」、この二つの建物を繋いでいるのが、「橋掛」となります。
能楽師、狂言師の方は、能楽屋から出てこられ橋掛を通って能舞台で演じられ、終わると橋掛を通って能楽屋に戻られます。
写真では分かりませんが、能舞台に向かって右手奥にも扉があり、裏を通って能楽屋に通じているようで、そこからも出入りされていました。
能舞台、橋掛の屋根は、桧皮葺(ひわだぶき)となっており、能楽屋は杮葺き(こけらぶき)となっています。
私は最終日の18日に見させていただきましたが、ちょうど干潮の時間帯で能舞台の周囲には水は有りませんでした。
野鳥が飛んできてさえずったり、能舞台右手奥には大鳥居が見え、たまに鹿が近くを歩いているのが見えたりして、なかなか趣きのある鑑賞ができました。
厳島神社の能舞台は、海上に設置されていますので、床構造にも珍しい工法が取り入れられています。
錆びやすい釘などは極力使用されていないのに波の浮力に耐える構造になっているとのことです。
また、演技者の足拍子の共鳴を大きくする工夫や潮の干満の差によって共鳴音が変わるなど、厳島神社の能舞台には他では味わえない独特のものがあります。
秋の献茶祭では、能舞台で表千家、裏千家家元によるお点前が交互に披露されることになっています。
我が国の能楽は、2006年に無形文化遺産に指定されていますので、桃花祭御神能で演じられる能楽は、世界文化遺産の能舞台で演じられる無形文化遺産ということになります。

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